パチンコは戦争中も健在・・・長野は許可制で営業2
昔、硲伊之助さんが画家としての、パリ一番乗りで行って来られた時、「日本へ戻って何か変ったことは?」という問に、「パチンコ屋がふえた事だけですヨ-----」と笑われた。
「さらに」と言葉をついで-----「パリのキャフエにも、一台ぐらいおいてある家はありますヨ。しかしあんな子供くさいゲームはやらないだけですヨ」。
進駐軍司令官が、わが国文化は「十二歳なり」というのは、このパチンコ愛好などからも推定されたのであろうか?』
戦時政府はパチンコの営業停止を各府県に通達しましたが、こういう許可制をとった県もあって、戦争中もパチンコは、しぶとく生き抜いていたのでした。