パチンコは戦争中も健在・・・横浜では景品に下駄
横浜にも、戦争中、パチンコ屋がありました。
横浜の銀座---ザキの略称で知られる伊勢佐木町で、横浜大空襲までやっていました。
横浜は港都であるとともに、大小の造船所を持つ工都でもあり、戦時造船で多くの"産業戦士"が働いていました。
パチンコ屋はこういう人たちで、いつも賑わっていました。
景品には下駄や、鼻緒があって、すでに履物屋の店先からは、そういう品物がなくなっていた時代ですから、喜ばれたといいます。
その横浜を、昭和20年5月29日午前7時30分、500機のB29と100機のP51による戦爆大連合が襲い、焦土と化してしまったのでした。
パチンコ屋も灰になりました。